外国人の子供への教育義務化を 日商が官房長官に提言提出 政府の「司令塔」創設検討も–【産経新聞】
https://www.sankei.com/article/20260609-3G7LNFJ6GVP53GBMWBIYJUI2QA/
外国人材の受け入れと、子どもたちの教育について思うこと
「エッセンシャルな産業は外国人の協力なしにはもうやっていけない」
と発言されたとのことです。
私は、この発言は今の日本の現実を表していると思います。
介護、建設、外食、宿泊、物流、農業など、すでに多くの現場で外国人の方々が働いています。
日本人だけでは成り立たない産業があることは、もはや否定できない時代に入っていると思います。
一方で、外国人の方々が日本で生活していく上で、最も大きな壁の一つが「日本語」です。
日本語は、世界的に見ても非常に難しい言語だと言われています。
中国や韓国の方は、漢字文化などの共通点があり、比較的覚えやすい面もあるかもしれません。
しかし、東南アジア諸国の方にとっては、日本語はまるで「宇宙語」のように感じるほど難しい場合があります。
これは外国人だけの問題ではありません。
私たち日本人も、大人になってから外国語を覚えることは簡単ではありません。
言葉が分からないということは、生活の不安、仕事の不安、子育ての不安につながります。
そして、その不安が積み重なれば、地域とのすれ違いやトラブルが起きる可能性もあります。
ゴミ出し、騒音、学校との連絡、行政手続き、近隣住民との関係。
多くの問題は、悪意ではなく「分からないこと」から生まれる場合が多いのです。
その中で、外国人の子どもたちはとても大切な存在です。
『子どもたちは、日本の学校や地域の中で日本語を覚え、日本の社会との橋渡し役になることがあります。
家庭の中でも、親に代わって説明したり、地域との間に立ったりすることもあります。』
だからこそ、外国人の子どもたちへの教育は非常に大切です。
これは外国人家庭のためだけではありません。
日本社会にとっても、地域の安定や将来の人材育成につながる、とても有意義なことだと思います。
ただし、私がいつも感じることがあります。
このような外国人受け入れに関する話が出るとき、多くの場合、政府や産業界からの提言として語られます。
「人手不足だから外国人材が必要だ」
「産業を維持するために受け入れが必要だ」
という流れです。
もちろん、それも大切な視点です。
しかし、国民から見ると、少し違和感が生まれることもあります。
外国人材を受け入れるということは、単に労働力を確保することではありません。
その人たちが日本で暮らし、家族を持ち、子どもが学校に通い、地域の一員になっていくということです。
だからこそ、産業界からの提言だけでなく、地域住民、学校、自治体、支援団体、そして実際に外国人と向き合う現場の声をもっと反映させる必要があると思います。
外国人材の受け入れは、産業政策であると同時に、生活政策であり、教育政策であり、地域政策でもあります。
呼ぶのであれば、働く場所だけでなく、住まい、言葉、教育、地域との関係まで考える。
それが、これからの日本に必要な「受け入れる責任」ではないでしょうか。


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