1975年:高校時の留年

【シニアライフ】

試験を受ける高校がない

2月になろうとしている時期、願書受付も終わり残された高校は一つ、そこがとんでもない高校だった。
野球を断念した心労から立ち直れないこともあり、殆どやけくそでの入学(誰でもはいれるレベル、名前さえ書けば)
誰のせいでもないと言い聞かせ登校する。

入学式から喧嘩、即退学者!!何しに来たんだ。そいつらはと心でつぶやいた。
8割が不良、ほとんど暴走族、俺そこまで悪くないしもう少し学業レベルは上と思う。

学校へ行くのが苦痛、中学時代は楽しくて仕方なかった学校が、高校になると苦痛に同じ人間なのにつらかった。
当然いかなくなる、行っても早退する、雀荘へそんな毎日が続く、おかげでマージャンは上手くなった。

そんなこんなで、1年の戦歴、遅刻109回、早退89回、欠席40回の戦歴が付いた。
中学の私からは考えられない戦歴(笑)

同じ中学のチームメイトは甲子園を目指して猛練習、俺はこのザマ、それが一番つらかったし、やるせなかった。
そんな高校、驚いたことに掛け算ができないやつがいた。・・・・・・なんで??

成績はそんな仲間がいる高校だ、初年度は1位を獲得した。
でも留年、美術単位落として留年、現実は厳しかった。

学年一番で留年、笑うしかなかった。そんな時同級生がみな、先生に抗議をしてくれたのが思い出、「おかしいだろなぜ・・・が留年だ!と抗議」嬉しかった。

でも講義も実らず、そこから1年生がまた始まった。つらい3年間のスタート。

道はいろいろある、自分では決められない道、歩くしかない道、進むしかない道、きっと先には良いことが有ると信じて

心に決めた、浪人して6大学行こうと、勝手に決めて親にも伝えた。
現役で受かるはずがない、習う知識が違いすぎる。

大学を受験することを担任に告げると(え!)との返事、無理なのは私もわかる、だから今年は一校だけ受けると、雰囲気を感じたいから、試験日が一番早い大学を受けた。

笑った。

受かった、そんな馬鹿な!

担任が一番驚いていた。笑

一番早い試験日の大学だが、そんな悪い大学ではない、皆が知っている大学だ。
そのまま入学した。

また大変な4年間が始まった。
人生で一番勉強したのが大学時代なんです。
授業が付いていけない、大学に入って公式を壁中に張った。

おかしな大学生活を送ることになった。
でもその後の人生で自信になったのも事実、

目指していた甲子園はそれから20年後の42歳の時に初めて一人で大会を見に行った。
眩しくて、躍動している高校生がうらやましく思えた。

私のチームメートの一人は都大会の決勝で負けて、甲子園行を阻まれた。
結局チームからはだれも甲子園にはいくことはできなかった。

 

人生の岐路、永く生きていると何度も現れる、気づいていない岐路も

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