人生でのわかれ道、右?左

【シニアライフ】
皆にある「わかれ道」

最近、あの時右の道を進んでいたら今の自分は無かったし、どんな人生だったのかと思う時がある。

きっと皆さんもあると思う。

全て順風満帆な人など殆どいないはずだし、帰路はだれにでもあるから。

 

私も今考えると何度かあった

1967年:小学生の引越し
小学生三年に上がるとき両親が離婚し、引越すことに、子供ながら心が揺らいだ時

 

1974年:中学卒業時の進学
野球を真剣に取り組んでいるときの挫折感を味わった時

 

1975年:高校時の留年
自分の実力ではないと思いながら、悔しい思いで通った高校
1年生での留年決定時

 

1978年:大学進学
浪人して
6大学を目指すつもりの気持ちが揺らいだ時

 

1980年:アメリカでの経験
アメリカでの誘いを断る時の自分の勇気の無さを感じた時

 

1982年:就職
大学まで出させていただいたのに就職もせず無力感を感じていた時

 

1987年:起業
就職をした飲食店のお偉いさんからの一言で目覚めてしまった時

 

2007年:再度起業
このままではいけないと思い何気なく始めた資格取得勉強、そこで得た資格での起業

 

2019年:コロナ襲来
おそらく日本でいち早くコロナの情報を得た一人と思う、あの時の決断時

 

2023年:コロナ終息
コロナでの多大な影響で今日現在も右左迷い揺らぐ心


1967年:小学生の引越し
小学生三年に上がるとき両親が離婚し、引越すことに、子供ながら心が揺らいだ時
私には兄弟が2人いる、兄と姉もちろん同じ小学校を出ている、今回のわかれ道は自信で決めたわけではないけど大きな分かれ道だったようです。それが30年後にわかることになるとは、
引越したことで中学が兄、姉と違う中学になることは自然だった。
あの時母は、越境でも兄たちと同じ中学へと勧めたが、私が野球の強い中学を選んで家の近くの中学へ進学することにした。
で、なぜ30年後に、、、、、。
それは30年ぶりの同窓会でのこと、進学していた大学、もちろん就職先などが同じ時期に学んでいた世代で、これ程までに違うのかと思い知らされたことがある。
母が越境しなさいといった意味が30年後にわかった。笑い!
学校は大切だと思い知りました。
でも、自分が選んだ中学を失敗だとは思っていませんし思いたくないですね、いい仲間もできたし、とても楽しい中学生活で今でも同窓会をする仲間です。
そろそろ、その開催の時期に来ているようです。
それでは、今日はこの辺で   続きはまたの機会に。
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