1977年渡米、サンフランシスコへ
夢に見たアメリカ、当時は今と違い観光ビザが必要でした。
今は幸せ、明日以降と思えば行ける、パスポートさえあれば!
今は幸せ、明日以降と思えば行ける、パスポートさえあれば!
当時はアメリカ大使館に朝5時に並んで面接を受けた、その数3回、3回目でやっとビザを押してもらえた、
なぜかうれしかった。
なぜかうれしかった。
一人でのアメリカ、ワクワクドキドキ、チャイナエアーライン(当時台湾系)、確か飛行機乗るのも初めてだった。
感動の2か月間、なぜかバイトもした。
そのバイトは拳銃ツアーのインストラクター。
日本人が実弾を使用できるツアー。
そのバイトは拳銃ツアーのインストラクター。
日本人が実弾を使用できるツアー。
対岸のオークランドなどでの射撃場へ、おかげで銃の腕は確かなものに、毎日ガレージで銃弾を作り、銃を分解しクリーニングして翌朝に挑む、その事務所にはやく、200丁の銃があり、南部式、ウインチェスターなど歴史ものの銃もあった。
あっという間のバイトの1か月、楽しくて、生活しているようで、当時はやりのフリーマーケットにもお邪魔して初めての体験、もちろん15年後ぐらいに日本にもその文化が流れてきた。
後悔、
なぜアメリアでの生活を選ばなかったのか、臆病、弱虫、お金もない、本当にあの時に戻りたい。
なぜアメリアでの生活を選ばなかったのか、臆病、弱虫、お金もない、本当にあの時に戻りたい。
それからアメリカには仕事で30回以上は行くことになる。
情けない自分が行くたびによみがえる。
情けない自分が行くたびによみがえる。
時代のせいにはしたくないが、当時はアメリカで仕事をすることが本当に難しい時代でもあった。
企業に勤めているわけでもないわけで、個人が理由もなしに行ける世情ではなかった時代。
企業に勤めているわけでもないわけで、個人が理由もなしに行ける世情ではなかった時代。
いいわけですが!
あの時代に戻りたい、
どんな自分になっているか、今より良くなっているとは限らないが、また違う後悔をしているのかもしれない。
どんな自分になっているか、今より良くなっているとは限らないが、また違う後悔をしているのかもしれない。
皆さんもこんなことが多くあることでしょう。
昭和時代はそんな時代でしたね。
昭和時代はそんな時代でしたね。
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