誰のせいでもないわかれ道
1974年:中学卒業時の進学
野球を真剣に取り組んでいるときの挫折感を味わった時
小学校、中学校と野球を、子供ながら真剣に取り組んでいた。
中学の時毎日、12階建てのマンションの階段を10往復していた。
効き目があるかもわからずに、純粋だった。笑い
中学卒業を控えて、野球クラブの監督からある高校を紹介された。名門の高校で復活を目指していると言っていた。
その高校へ行く気で夏の間は高校生と練習を重ねていた。
母は野球での進学を反対していた、今はスポーツは才能ですが、当時はバカばかり(少し偏見ですが)との思いがあったのでしょう。
入学も迫った1月の中旬、ふと練習中、足が痛いことに気づく、母子家庭で育った私には忙しい母に相談することなく、自身で整形外科を訪れた。診断は、運動のし過ぎでの軟骨が突起してくる病といわれた。
痛みは治らないと・・・・・。
当然高校への進学はだめになった。
子供ながら人生最初の挫折感を味わった。
そこから転落の4年間が始まる、本当に転落した。
あの時怪我無くあの高校へ行っていたら、甲子園は無理かもしれないが、高校、大学と野球を続けていたはず。
誰のせいでもない「わかれ道」
その後の4年間は本当につらかった。
コメント