なぜ「立会川」?
龍馬が黒船を見張った街
龍馬が黒船を見張った街
今回ご紹介する少し珍しい駅名は、京急線の
「立会川駅」です。

駅名の由来シリーズ」京急線の*立会川駅1853年、ペリー率いる黒船が来航した頃、この周辺には土佐藩の下屋敷があり、若き龍馬も江戸湾の警備にあたったとされています。#東京生活
1853年、ペリー率いる黒船が来航した頃、この周辺には土佐藩の下屋敷があり、若き坂本龍馬も江戸湾の警備にあたったとされています。駅の近くには龍馬像や浜川砲台、さらに旧東海道へ。
「立会川」とは、誰が、何に立ち会った川なのでしょうか。
実は、この名前の由来には、いくつもの説があります。
一つは、昔この川が、中延にあった「滝間」という地域を流れていたため、
滝間川と呼ばれ、それが立会川に変化したという説です。
もう一つは、川を挟んで武士が太刀を交えたことから、
「太刀会川」になったという説。
そして少し悲しい説が、近くの鈴ヶ森刑場に送られる罪人を、家族や知人がこの辺りで最後に見送った、つまり「立ち会った」ことから、立会川と呼ばれたというものです。
ただし、どの説が正しいのかは、現在もはっきりしていません。
そして立会川には、幕末の志士、坂本龍馬との深いつながりがあります。
ペリーの黒船が浦賀に来航した1853年、この付近には土佐藩の下屋敷がありました。
当時、まだ二十歳前後だった坂本龍馬も、土佐藩士として江戸湾を守るため、この立会川周辺の警備に就いたとされています。
近くには、土佐藩が黒船に備えて築いた浜川砲台が復元され、駅近くの北浜川児童遊園には、若き日の坂本龍馬像も立っています。
龍馬が後に世界へ目を向けるきっかけの一つが、この立会川で見た黒船だったのかもしれません。
現在の立会川は、商店街と住宅が並ぶ穏やかな街です。
しかし、その名前をたどると、旧東海道、鈴ヶ森刑場、黒船、そして坂本龍馬へとつながっていきます。
何気なく通り過ぎる駅にも、歴史は残っています。
部屋も大事、でも暮らすのは街。
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